2021年3月21日礼拝メッセージ

3月21()の礼拝メッセージ断片ルカ8:16-21

『「良い地」のその後』 山口紀子牧師

 

 先週は種蒔く人のたとえに聞きました。このたとえに続いてこの朝の御言葉は語られています。「だから、どう聞くかに注意するがよい」とは、御言葉の聞き方、受け止める心の状態に注意しなさいということです。

 16節のあかりとは御言葉。それを覆い隠す人はいません。むしろ人々にはっきりと示すべきです。ところがその神の御言葉が隠されています。例えば種まきでいえば、心が「道ばた」で御言葉が届かない、さっぱりわからない。そんな現実があります。しかしいつか必ずあらわになるから、その御言葉を今どう聞くかに注意せよ、というのです。

 だから「良い地」になる努力をせよ、ではありません。神の言葉は必ずあらわになる、つまり実現するからなのです。それは、われらの努力や能力という内側ではなく、われらの外側、主イエス・キリストによって、実現したのです。

 「良い地」または「注意して聞く」とは、私たちが自力で御言葉を実らせることができるよう努力精進し立派な人になる、ではありません。そうではなく、御言葉を実現してくださるのは神であると信頼して、聞いた御言葉(種、あかり)を内に大切に思いめぐらし続けます。そして主が芽をださせ、実を結ばせてくださるまで忍耐して待つのです。

 そういう人にはさらに御言葉が与えられます。そうでない人は持っていた御言葉さえも失います。

 主イエスの家族のエピソードもまた「聞く」ことがテーマです。注意して聞くことは行動を生み出します。主イエスはいわれるのです「神の御言葉を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。

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