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2012年2月19日 礼拝メッセージ

「ユダの時」

マルコ14:32-42

山口伝道師


 ここにユダは、それまで誰も成功しなかった

イエスの逮捕を実現しました。

ここまで誰も成功しなかった事が、

ユダにはどうしてできたのか。

それはユダの時も神の時であり、

ユダを通して成された神の計画だったからです。



 逮捕の時に剣で敵方の僕の耳を切り落とす事件が

起こります。

切ったのはペテロである事がヨハネを見るとわかりますが、マルコはそれを記しません。

ユダには何度も使った「12弟子のひとり」とも言わず、

ただ「イエスのそばに立っていた者」とだけ記します。

ペテロは結局「そばに立っていただけ」でした。

それゆえイエスが逮捕されると、

主イエスを見捨てて逃げ去ってしまう。

皮肉にもマルコは50節では

「弟子たちは」皆イエスを見捨てて逃げ去った。

と記すのです。



 私達はどうでしょう?

そばに立っているだけではないか?

それでは事が起きたら散されます。

どうしたら逃げずに立ち続ける事ができるのでしょう?

この出来事は私達に警告を与えます。

また主イエスのようであるよう勧めます。

しかしそれを遥かにこえて、

これが福音であることを私達に告げます。

全ての者が逃げ去っても、なお独り苦難を身に受け、

十字架の救いを貫いて下さる。

「キリストは私達の罪のために、死んで下さった」(Ⅰコリント15:3-)。

この受難の出来事こそが、福音そのものです。



 ユダヤの1日は夜から始まります。

夜から朝に向かうのです。

夜の絶望と挫折をしっかりと受け止めましょう。

その時私達は本当の意味で朝の喜びを知る事になります。



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